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先週に引き続き、昨日の朝日新聞夕刊に清水宏保選手のコラムが掲載されていた。今回も迫力のある名文であり、また重大な問題提起がされている。
インターネットではこちらのサイトで読むことができる。 http://www.asahi.com/olympics/columns/from_vancouver/TKY201002230298.html 冬季オリンピックに絡めて、 ・普段はほとんど報道すらされないのにオリンピックイヤーだけ騒いでプレッシャーをかけるマスコミとそれに踊る人々、 ・一方で事業仕分けなどで削られる一方のスポーツ関連予算、 ・その不十分な予算の中からJOCの役員を選手のコーチより優先してオリンピック本番に派遣する理不尽な予算の使い方、 ・選手強化のために作られたナショナルトレーニングセンターを使うのに選手が費用負担しなければならないこと、 等々が綴られている。 細々とながらスポーツに関わる身として、彼の意見は非常に的を得たものであり、ほぼ全面的に正しいと思うし、良識のある多くの人が感じていることのようにも思う。 考えてみてほしい。 オリンピックの「誘致」に何十億もの金をかけることと、同じお金を市民スポーツへの補助や代表候補選手の強化に使うことと、いったいどちらが本当に役に立つ、中身のある投資だといえるのだろう? 一部の企業やそれに癒着した政治家を潤すのではなく。 話を戻して、このような形で現状を告発することは、彼のような偉大な選手であっても相当に勇気のいることだと思う。 僕らに何ができるのかはわからないが、このような現状を変革するのに役立つことなら少しでも協力していきたい。 そしてまた、ここに書かれていることのエッセンスは、スポーツのみならずサイエンスの世界にも通じることだと思う。 おそらくは、日本の社会の至る所にこのような構図があるのではないか。 どのようにしたら是正できるのだろう? ITmedia エグゼクティブにこんな記事が載っていた。
「見過ごされてきた科学研究の「無駄遣い」 」 http://tb.itmedia.co.jp/tbs/executive/articles/1002/22/news063.html 科学研究に関する公的資金が、単年度会計にはじまる硬直したシステムにより無駄に使わざるを得ないような仕組みになっていることを述べたもの。この内容自体は、大学や国公立研究機関のスタッフとして働いたことのある人ならよく知っていることだが、これが主に研究者以外の人が目にするようなニュースとして掲載されたことに意義があるように思う。 単年度会計で年度末に不要なものを買わなければならない無駄、カード払いなどがしにくいことにより国内特定業者を通さざるを得ないためにやたら高いレートで外国製品を買わなければならない無駄、そのために国内競合会社の製品の値段までが高い無駄、研究費が6月にならないと使えなくなるので消費期限の短い商品でもまとめ買いせざるを得ない無駄、などなど、ちょっと思い出しただけでも科学研究の公的資金には信じられないような無駄が山のようにある。 こういう記事がこのような無駄な制度を是正するきっかけになってくれればと思う。 そういえばまだ書いていなかった。
月刊誌「蛋白質・核酸・酵素」の休刊について。 http://www.kyoritsu-pub.co.jp/pne/pne_kyukan.html いや、実はひと月ちょっと前に、件の1月号を手にしてはじめて知ったのですが。 休刊の発表は、小学館の「小学五年生」と「小学六年生」の休刊と同日にあったらしいのですが、この2誌の休刊は新聞で読んだ記憶があるが、PNEは一般紙には載っていないからなぁ。 正直なところ、競合する「実験医学」や「細胞工学」よりも読む頻度は少なかった。 「日本語総説ピアレビュー誌」がこの雑誌の売りだったのだが。 ただ、商業的に流行りにフォーカスした特集を組んで売上を伸ばす、というようなことを この雑誌はあまりしていなかったような気がする。 あるいはピアレビュー誌という形態のために、そういう形を取りにくかったのかもしれない。 そして、近年のアカデミアの極端な業績評価主義の副作用もあったろう。 同じ内容を英語で書けば業績リストの「原著論文」の欄に載せられるのに、 わざわざ「日本語総説」(≒雑文、という扱い)にしかならない文を書くのは時間の無駄に近い。 ちょっと専門から外れたところの知識を得るのに日本語総説は有用だったのだが、 今後はますます日本語総説なるものは少なくなっていくように思う。 それが科学を目指す若者にとって、簡単に情報を得られなくなるという意味でハンディとなるか、それとも英語の習得の必然性をより強く感じるようになるので長期的にプラスになるのかはわからないが。 この土日、フォトリーディング集中講座を受講した。
感想は…まだ全然できる実感が無い。 おそらく今回の受講者の大半は同様の感想。 アシスタントの人は、 「15冊くらいやらないとできなかった」とか、 「何回か再受講したけれど結局毎日5分でいいから習慣的に繰り返さないとだめだった」とのこと。 まあ、しばらく試してみます。 今回使った本: ・10倍本(教材) ・非常識本(教材@会場) ・人生に奇跡を起こすノート術(教材@会場) ・プロフェッショナルの条件(ドラッカー/持ち込み教材) ・村上流英語(参考図書@会場) ・「超」手帳法(野口悠紀雄/往復の電車) うーん、こうして見ると二日で6冊、数だけはこなしているが…。
先日CDBに行った際、YMさんに「フットボールの話ですし面白いんじゃないかと思いますよ」と貸していただいた。「奇跡のタッチダウン−報酬はピッツァとワインで−」(原題:Playing for Pizza)ゴマ文庫版、白石朗訳。
読み始めて最初の感想、「これほどアメリカ人と非アメリカ人で感じ方の違う話は少ないんじゃないかな」。 話は単純。主人公の元NFL三本目QBがSuper Bowlのかかった試合でまずいプレイをしたため北米での契約先がなくなり、代理人に勧められるままにイタリアのチームと契約する。イタリアというより非アメリカである国に来たというカルチャーショックと、イタリア食文化の豊かさというカルチャーショック、そして自分の生きるすべであり国技ともいうべきスポーツが全くのマイナースポーツであるというカルチャーショック、さらにはそのマイナーで危険なスポーツをただ愛するがためにプレーを続ける「パルマ・パンサーズ」のイタリア人チームメイトたちというカルチャーショック。それらを否応無く受け止めるなかで、主人公の内面にそれまでには無かった変化が…。 一般的アメリカ人の、アメリカ以外を全然知らず知ろうともしないという傾向、そのような一般アメリカ人が非アメリカ社会において感じる典型的なカルチャーショックを的確に描いており、それゆえ現在の、世界の主役から滑り落ちそうになり否応無く他の世界のことを知る必要が出てきつつあるアメリカ人の共感を得ることができる作品のように思う。 僕自身は、いくつかの面からこの作品を味わった。 一つは、非アメリカでアメリカンフットボール選手だったという自分の経歴から。ここで主人公がイタリアのアメリカンフットボールリーグ、チームに大して感じていることの多くは、アメリカ人選手が日本のチームに参加するときに感じることと共通しているのだと思う。実際に何人かのアメリカ人選手・コーチが日本で受けたインタビューで同音異句でよく答えていたことでもある。 もう一つは、1998年から4年間北海道で生活し、そのうち2年間を札幌のチームでプレイした経験から。当時日本でのフットボール先進地区である関西のチームとは、北海道のフットボールは大きく違っていた。僕自身はたいした選手ではなく、関西で所属していた社会人チームも強いチームではなかったのだが、そのときの僕でさえいろいろなカルチャーショックを感じたものだった。もちろんその大きさは、この話の主人公のショックに比べれば全く小さなものだっただろうけれど。 そして、大学時代声楽専攻でイタリア好きな妻を持っている経験。 一方で、非アメリカでフットボールを続けていた身としては、作者と訳者に突っ込みたいところもあった。 作者には、非アメリカのフットボール事情をもう少し勉強して書いてほしかった。この作品が発表された2007年まではまだNFLヨーロッパも存在していたので、イタリアリーグにも参加、あるいはトライアウトを受けた選手が存在していたのではないかと思う。また、1999年に第1回が開催されたアメリカンフットボール・ワールドカップの記念すべき開催地は、他でもないイタリア(パレルモ)であったことも、少しは言及があってよかったのではないかと思う。 また訳者はおそらくフットボールに対する知識はほとんどないのではないか。フットボールゲーム描写の翻訳が非常にぎこちない。この話のクライマックスであるリックからファブリツィオへのヘイルメリーパスのあたりもぎこちなくて、感動も半減なのではないか。少なくともフットボールゲームの描写に関しては、むしろ原書で読めばよかった、と思わせる翻訳だった。 ほんの帯によれば映画化するみたいだけれど、おそらくアメリカ以外では当たらない映画になるだろうなぁ。 とはいえ、アメリカ人目線から非アメリカのアメリカンフットボールを見た本書の視点はおもしろかった。そして、NFLによる文化支配ではなく、フットボールというスポーツを愛する人たちによる文化交流によって、アメリカンフットボールを楽しむ人が増えていってくれれば、そしてそれをきっかけにでも、アメリカ人がより非アメリカ世界への関心を持って「国際社会」の一員であることを感じていってくれればと思う。あ、それを言うなら、日本人もそうなんだけど。 最後になりましたがYMさん、貸してくださってありがとうございました。
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